大学院生活いちにちめ

大学院での勉強や自分の研究について発信できたらいいなあと思っています。専門は言語学(生成文法理論)で主に子どもの言語習得について研究しています。4月からM1

プーさんの「ほんとう」にふれるワークショップに参加しました!

 

こんにちは。お久しぶりです。

 

7月も半分を過ぎました。期末の時期と初の学会発表が重なってしまい、なにかとバタバタしている今日この頃です。

 

もう大学院生活も1/4終わってしまったというわけですが、このペースでいくと修士で特になんもできないまま終わってしまうぞ、、、と最近は焦りを感じています。

とはいえまずは目の前の課題と学会の準備をがんばります。

 

 

 

ところで、今日は6/16(日)に開催された、「プーさんの『ほんとう』にふれるワークショップ」に参加したのでその感想を書こうと思います!(もう1か月も経ってしまっていたのか。。)

 

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写真はネットから拾ったもの



 

このワークショップは一橋大学の博士課程でイギリス児童文学を専門に研究しているさっちゃんこと、磯部里美さん主催で行われました。

周りに院生の友達・先輩は少ないんですが、さっちゃんは研究もしつつ、それも発信している本当に尊敬できる院生仲間です、、、!

プーさんのこと、物語を読むということだけでなく、自分の研究活動やその発信についてもだくさん考えることができた時間になりました。

 

 

 

ワークショップの話

プーさんといえば、ディズニーアニメの「くまのプーさん」が有名なんじゃないでしょうか?

このディズニーのプーさんのもとになったのは、A.A.ミルン原作のイギリス児童文学「クマのプーさん」という作品です。

 

プーさんのワークショップに参加することにしてみたものの、私は原作のプーさんにはまったく触れたことがなく、プーさんといえばディズニーのイメージしかありませんでした。

「参加者みんなプーさんガチ勢だったらどうしよう。。。」という気持ちでワークショップに参加しましたが、私のようにあまりプーさんに詳しくない方も、プーさんの絵本や原作に思い入れがある方も、いろいろな方が参加していて、だからこそいろいろな感想やエピソード、思い出が飛び交っていてとても楽しかったです。

 

 

今回のワークショップでは「クマのプーさん」の冒頭と、その続編である「プー横丁にたった家」より「プーがあたらしい遊戯を発明して、イーヨーが仲間に入るお話」の2篇を読んで、それぞれに感想や気になったところ、印象に残った場面などを話し合いました。

 

 

感想

今回のワークショップ、とにかく時間が経つのがあっという間でした!

 

普段物語や小説を読むときには、どうしてもストーリーラインを追うことに意識がいってしまいます。

だからこそ、今回のワークショップで、ひとつひとつの表現をゆっくり吟味して、まさに物語を「味わい」ながら読めたことがとても満足感がありました。

 

「これはどういう意味なんだろう」「どういう意図で作者はこのセリフを書いたんだろう」とストーリーを追うだけじゃなく、丁寧に読む時間をとれること、そしてそれを人と共有して意見交換をしたり、一緒に考えたり、「そんな視点もあったのか!」と気づけることってすごく楽しいなと思いました。

 

 

1か月経った今でも、まだ記憶に残っている表現があります。

 

 

小川は、森のはずれに流れつくまでに、だいぶん大きくなっていましたので、もう川といってもいいくらいでした。(中略)川はゆっくりと流れました。川には、じぶんのゆくさきが、ちゃんとわかっていたからです。そこで、「いそぐことはないよ。いつかは着くさ。」と、こうかんがえていたのです。けれども、森のもっと高いところを流れている小川たちは、見るものがあんなにたくさんあるのに、間にあわなかったらたいへんだと、みんな大急ぎで、いっしょうけんめい、あっちへ流れたり、こっちへ流れたりしました。

岩波少年文庫プー横丁にたった家」A.A.ミルン原作、石井桃子訳より p.146)

 

この川の表現がすごく好きだなあと思いました。

大きな川の、凪いでいて、ゆったりと流れていく様と、小川の、水しぶきをあげながらキラキラ光って流れていく様子が、頭の中にさっと浮かんできませんか?

冒頭のこの短い記述だけですっとプーさんの世界に引き込まれる感じがして、とても印象的でした。

 

 

それから、同じくらい自分の中で印象的だったのは、さっちゃんの「みなさんがここで考えたことはきっともう『ほんとう』なんだと思うんです」という言葉です。

 

 

プーさんには原作の児童文学作品があって、それをもとにディズニーのアニメーションがあって、キャラクターグッズや派生作品があって、、、

じゃあ原作だけが『ほんとう』なのかといえば、そうではないと思います。

何がきっかけであれ、プーさんを知って、その世界と少しでも接点をもつことができるなら、どれも『ほんとう』なんじゃないでしょうか。

そして、もちろん文学研究においても先行研究や歴史的背景など、知識の基礎があって解釈や分析が生まれるわけですが、それだけが『ほんとう』なわけではありません。

今日みなさんが感じたり、考えたり、こうじゃないかと想像したことも、プーさんという作品に触れてたしかにそれぞれの中に生まれた感情で、つまり『ほんもの』なんじゃないかと思います。

 

 

さっちゃんが最後のクロージングで話してくれた「それぞれが考えたこと、感じたことも『ほんもの』だと思う」という話は、私がいろいろな文学作品や古典を読む背中を押してくれたような気がしました。

 

私はそんなに読書は頻繁にはしないほうなんですが(文系の院生としてはこれはよくない)、最近はもっとたくさん本を読みたいなと思って、宮沢賢治の作品を読んだり、長年気になっていた蜻蛉日記を読んだりしています。

 

私は作品に感情移入しつつ、わりと自分と照らし合わせながら読むタイプなので、「これは自分のこの経験と重なるかもしれない」「この気持ち、すごくわかる」「これは今でいうとこういう状況なのかな」とある意味過度に想像力を働かせているようなときもあります。

それはそれで読んでいて楽しいんですが、文学が専門でないからこそ、「これってもしかしたら誤った読み方なのかも」「過度に心情を単純化しすぎてるのでは?」と自分の読み方に自信をなくしてしまうときもあります。

でも、読み手がその作品に触れて、たしかに感じたことはもう『ほんとう』と呼べるんじゃないか、とさっちゃんが言ってくれたことで、「こういう読み方をしていてもいいんだ」と安心感を感じました。

 

もちろん、文学研究や文学にかかわる研究者の方々がこれまで積み上げてきた、詳細な分析や根拠にもとづいた解釈は尊重されるべきだと思います。

でも、文学研究にかかわらない私が、個人的に作品を楽しむ分にはどんな読み方をしてもいいんだ、と思うことができました。

 

 

 

自分の専門についてだれかに話すということ

ワークショップ自体の感想はここまでなんですが、院生という視点で今回感じたことは、「私も自分の専門についてもっと話したい!興味を持ってもらいたい!」ということです。

 

 

最近は「文学部不要論」みたいな話もあったりして、理論言語学という実用とはなかなか結び付かない分野を勉強している身としては、「自分の研究の社会的意義って、いったいなんなんだろう」と思ったりします。

(もちろん実学以外の学問も存在するべきだと思っているし、自身の研究には学問的意義があるとなにより自分自身が信じてはいますが)

 

でも、まず「それって詳しくはわかんないけど、でもすごくおもしろいね!」と思ってもらえたら、それは一つの社会的な意義として成り立つんじゃないかな、と考えています。

 

そのために自分の専門のおもしろさを発信できる大学院生になりたい!、、、と思ってはいたものの、日々のタスクに追われ、なんとなく発信することに関しては後回しになっていました。。。(ブログの更新も滞っていた)

 

 

でも、今回のワークショップに参加して、「やっぱり、自分の専門について語りたい!そしておもしろいと思ってほしい!」という思いを再認識しました。

別に文学に関する深い知識がなくても、プーさんについてよく知らなくても、ワークショップの参加者たちが楽しそうに感想を述べたり、意見を交換している様子を見て、「学問」と「社会」は実用性という面だけでなく、「おもしろさ」という面でもつながれるんじゃないか、と改めて気づかされました。

 

 

文学と言語学は研究の性質的にも異なる部分も多いので、まったく同じように焼き直しをすることはできないかもしれませんが、いろんな分野の院生を集めて、お客さんがそれぞれの専門について院生と話ができる「院生バー」みたいなのできたらいいな~と思ったり。。。

まあこれはすぐに実現するのは難しそうなので、やっぱりブログでもうちょっと言語学のことを発信していきたいですね。

「1教えるためには10知っている必要がある」ともいうので、言語学を語れるようになりたいと思うならやっぱりもっと勉強しないとな、と気を引き締めるきっかけになりました。

 

 

ということで最近読んだ言語学系の本(一般書)の紹介を次回はしたいと思います!

あと、そろそろ大学院の合格体験記も書こうと思っています。(どんどん記憶が薄れていっていますが。。。)

 

 

 

それでは~